「今の自分は、過去の自分に勝っている」と思うなかれ


私は所属しているサークルで代表を務めたことがあります。
それは私にとって非常に貴重な経験であり、いろんな方々から本当に熱い気持ちをおすそ分けしていただいた期間であり、これを自分の原点と定義したい一連の出来事でした。


もちろん苦しかったこともありましたが、後になって振り返れば楽しかったことしか残っておらず、なんとも充実したひと時でありました。


今、代表や組織の運営は後輩に任せっきりになっており、後は間近に迫る卒業を待っているだけなのですが、もし、もう一度、私が代表になったらどうなるだろう、というようなことを私はときどき考えてしまうのです。


若い自分は失敗の連続でありましたが、今の自分は幾ばくか成長しており、もっともっと器用に大きなことが出来るのではないか。今の自分なら…今の自分なら…。


このように、胸のうちに寄生する「自負」という邪な虫は、いつも余計なことを囁きます。実際にやってみたいことも少なからずあります。


しかし、そのように思考すると同時に反駁の念も湧き上がります。
その自己否定する気持ちを皆さんにご紹介したい次第です。


それはつまり、「若かったからこそ出来たこともある」という考えです。サークルの運営なんて、その環境や時流やメンバーのノリとかで大きく左右されるもので、確固とした手法なんてありませんし、様々なパラメータが存在する方程式を解くようなものです。


正解は一つではなく、いろんな正解があるのだと思います。
もっと正確に言えば、コンセプトさえしっかり持っていれば、あらゆる方法が正解といえます。
若い自分に、歳を重ねた自分が包括的に勝ることは決してなく、そのときそのときの「自分らしさ」を時系列に感じることが重要だと考えます。


これはきっとどんな仕事をこなす上でも言えることではないでしょうか。今任された仕事を、未来の自分も過去の自分も請け負ってはくれません。今の自分で、なんとかして成し遂げるしかないのです。目の前に立ちはだかる仕事を成し遂げることで、「今」は過去となり、未来は「今」となります。


未来と過去に、ずうっと挟まれっぱなしの私たちは、その丁度中間地点を流れているのであって、遡ることも留まることも出来ません。私の仕事のイメージとは、そういった流動的なものなのです。だからこそ、「今やれること」を「今しかやれないこと」だと認識して、一生懸命取り組むことこそ大事なんじゃないかあと思う今日この頃でした。